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知っておいた方が良い!端午の節句の兜、お下がりはあり?なし?




端午の節句の兜

5月5日は端午の節句、男の子の健やかな成長を願う行事です。
端午の節句の飾りといえば、鯉のぼりや兜飾りですよね。
特に、兜飾りは高価なものなので、「パパのものを子どもにお下がりしよう」と思うかもしれませんが…
ちょっと待って!実は、兜飾りのお下がりはNGなんです!
今回は、その理由を詳しく解説します。

端午の節句の兜、お下がりはやめといた方が良い理由。

兜飾りのお下がりは、どうしてNGなのでしょうか?
端午の節句と五月人形の関係を知ると、その理由が分かってきます。

端午の節句は、五節句の一つです。
節句とは、昔から日本に伝わる、季節の節目に無病息災や豊作などを祈る行事のことを言います。
人日(じんじつ・1月7日)、上巳(じょうし・3月3日)、端午(たんご・5月5日)、七夕(たなばた・7月7日)、重陽(ちょうよう・9月9日)の五つの節句は、特に大切にされてきました。端午の節句は、その一つなんですね。

そんな端午の節句が、男の子の健康や成長を願う日になったのは、江戸時代頃からと言われています。
さらに前の時代には、端午の節句には「菖蒲(しょうぶ)」の花を厄除けとして飾ったり、菖蒲のお酒を飲んだりしていました。そのため、「菖蒲の節句」とも呼ばれていたそうです。
武家社会になると、武道を尊び重んじる「尚武(しょうぶ)」の精神が大切にされるようになります。この「尚武」と「菖蒲」が同じ音だったことから、「菖蒲の節句=尚武の節句(武家の跡継ぎとなる男子の繁栄を願う行事)」となったのです。

そして、武士にとって大切な鎧や兜をつけた五月人形を飾り、男の子が無事に健やかに成長するように、厄災の身代わりとなってくれるように、と祈るようになったのです。

これが、端午の節句と五月人形の関係というわけです。

五月人形は、男の子を厄災から身代わりとして守ってくれる飾りであることが分かりましたね。
男の子が立派に育って大人になったら、その五月人形は身代わりとしての役目を終えます。子どもの厄災を代わりに持ってくれているので、きちんと供養する必要があるんです。

つまり、パパの五月人形は、パパの厄災を持ってくれているわけですから、子どもにその五月人形を引き継ぐと、厄災も引き継がれることになってしまうのです。
だから、五月人形は引き継がず、新しいものを準備してあげるのが良いとされるのです。

ちなみに、男の子が2人以上いる場合は、その人数分、五月人形が必要と言われています。ただ、あまり大きいものだと場所をとりますから、小さいものにしてもいいかもしれませんね。

端午の節句の歌って歌えますか?歌詞から見る切ない想いとは?

端午の節句の代表的な歌といえば、「こいのぼり」ですよね。
「やねよりたかい〜♪」から始まる、真鯉と緋鯉が大空をのびのびと泳ぐ姿から、子どもの成長を願う歌です。
日本人ならみんなが知っていると言っていいほどの、有名な歌です。

実は、他にも、端午の節句に歌われる「背くらべ」という歌があるのを、ご存知ですか?
こちらの歌も、子どもの成長を喜ぶ歌なのですが、少し切ない想いが秘められているのです。
今回は、そんな「背くらべ」の歌について、ご紹介したいと思います。

背くらべ
作詞:海野厚/作曲:中山晋平

柱のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
粽(ちまき)たべたべ 兄さんが
計ってくれた 背のたけ
きのうくらべりゃ 何のこと
やっと羽織の 紐のたけ

柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背伸 していても
雪の帽子を ぬいでさえ
一はやっぱり 富士の山

5月5日に、兄弟で背くらべをして、家の柱に印をつけている、そんな微笑ましい情景が目に浮かぶ歌ですね。

この歌は、作詞者の海野さんが自分の17歳下の弟の視点で書いたと言われています。
海野さんの実家は富士山の見える静岡県ですが、このとき海野さんは上京しており、あまり弟に会えていませんでした。
柱のきずが「昨年」ではなく「おととし」にしかつけられていない理由には、諸説あります。
一つは、海野さんが仕事などで忙しく、5月5日に帰れなかったという説。もう一つは、海野さんは28歳の若さで肺結核で亡くなっており、その病気が原因で5月5日に帰れなかったという説です。

端午の節句は、男の子の健やかな成長を祈る日でしたね。
そんな日に、なかなか会えない、遠く離れたところに住む弟の成長を思い、この歌が書かれたのだと思うと、とても切ない気持ちになります。

まとめ

今回は、端午の節句の兜をお下がりしてはいけない理由について、解説しました!
端午の節句は古くからある無病息災や豊作などを祈る行事ですが、江戸時代頃から武士となる男の子の健康や繁栄を祈る行事となりました。
そして、武士にとって大切な兜や鎧を飾ることで、男の子の厄災の身代わりになってもらうようになったのです。
つまり、パパの兜にはパパの厄災が入っています。子どもにその兜をお下がりすると、厄災ごとお下がりすることになるので、よくないとされるのです。
役目を終えたパパの兜はきちんと供養して、子どもには新しい兜を買うといいですよ。

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